2013年8月27日火曜日

新しいブログのお知らせ

このたび、大学進学に合わせてブログを新たに作ることにしました。
これからは「ダニエルのLSE留学日記」でブログを更新させて頂きますので、今後もご愛読よろしくお願いします。今まで2年近く僕のブログ読んでくださった方々、本当にありがとうございました。「ダニエル日記」はこれでおしまいですが、新しいブログもよろしくお願いします。

2013年8月26日月曜日

LSEに合格確定しました

8月15日に予定していた通り、イギリスのA-levelの最終結果の開示と、UCASを通じた大学の合否発表が行われ、なんと無事にLSEに合格することが出来ました!
今思えばここまで本当に長い道のりでした。2月にコンディショナル・オファーをもらって以来、6ヶ月間いろんなことがありました。

まず第一の山場だったのは5〜6月にあったA-levelの最終試験でした。今までの試験はresit(再受験)できましたが最終試験は一発勝負なので過去の試験とは緊張感が違いました。それでも先生方や親友たちに励まされ、いろいろ助けてもらい(試験勉強の計画表を作ってくださったり、メンタルトレーニングの小冊子を持ってきてくれたり)、なんとか乗り切ることが出来ました。一番の課題だった政治学の試験が終わった時は、書き過ぎでしばらく物がつかめないほど、腕が痙攣するほどでした(笑)

試験はそうして無事終わることが出来たものの、試練はまだまだ続きました。留学生がイギリスの大学に進学する場合は英語能力が十分にあることを証明しなくてはならないのですが、近年の留学生増加とともにハードルがどんどんあがっています。別々の受験でオーバーオール(総合点)では基準を超えたものの、LSEは全てのセクションで7.0以上を要求してきたので成績提出日の直前まで受験することになりました。結局その英語試験(IELTS)の点は要求されたグレードバンドには一つのセクションの0.5足りない結果で、期日までに条件を満たせませんでした。

LSEのホームページには英語の試験で条件を満たせなかった場合は、オファーを確定できない場合があると書いてあったので、本当にもう駄目かもしれないと思いました。8時間かけて陳情のメールを考え、祈るような気持ちで入学審査事務局に送ると、A-levelの結果が出るまで最終判断を待ってもらえることになり補欠リストに入れられました。

そこから一度決まっていた学生寮の確定手続きを雷でインターネットが切れて逃したり、何かと苦しい状況が続きました。しかし天は今回も僕に味方しました!

合否結果開示の当日、午後3時半頃ぼくがイギリスで個人的に入試に関して指導してもらったTim Guy先生から"Conglaturations!"のメールが届きました。一瞬目を疑いましたが、その直後にUCASにログインしてみるとそこには"Unconditional"(合格)の大きな文字がありました。家族も今まで心配していましたが、僕が歓喜の声をあげると全員集まってきてみんなで万歳しました。

急遽お祝いのバーベキューをすることになり、戦後間もない時代に国費でアメリカに留学した祖父たちも交えてお腹いっぱいになるまで食べて、談笑しているとA-levelの結果もイェール・カレッジから送られてきました。結果は予想以上のA*AAでなかには98点や90点という高得点のユニットもありました。努力が結び規定のユニットで90%とれA*だった数学をはじめ、先生との二人三脚で今ままで通り着実な高得点を取った社会学、最初あれだけ苦しめられたながらも八割後半以上を取った政治学と、全ての科目において最高の結果を受け取ることができました。

恩師もお祝いのメールで"The key point is A*AA!"と書いていたので本当にこのA-levelの成績が最終的な決め手だったと思います。秋にイギリスに戻るときにはぜひ先生方に直接報告してハグしたいです(笑)

そんな訳で僕は紆余曲折を経ながらも 秋からLSEの国際関係学部で学ぶ資格を得ることができました。その日を境に熱くじめじめした夜は終わり、心なしか鈴虫の鳴き声が優しい風とともに運ばれてくるようになりました。



2013年6月19日水曜日

さよならウェールズ、さよならレクサム

明日ついに2年過ごしたWrexham、そしてウェールズを離れます。
最初来た時は本当にウェールズで良かったのか不安でしたが、2年経った今ウェールズは僕の第二の故郷といえるくらい愛着のある場所になりました。

またWrexhamも単にウェールズの一都市であるだけではなく、イングランドと、ウェールズの国境近くに位置するため、両方の文化圏を体験できる絶妙な場所でした。
この地の利を活かして二年間でカーディフ、バンガー、ホーリーヘッドなどのウェールズの都市だけではなくリバープール、マンチェスター、バーミンガムそしてロンドン、さらにはスコットランドの首都エディンバラなど様々な土地へ足を伸ばしました。

Wrexhamは確かに街としては小さく、長い間過ごすと飽きてきますが、そこに住む人々はみんな親切で素朴です。またウェールズ人としてのプライドを持っている人も多く、誇り高きケルト民族の血を感じさせられました。

昨日はYale collegeで仲良くなった地元の友人たちにバーベキューに招待してもらい、ステーキ、ビール、石焼ピザ、ソーセージなど飲んで食べて別れを惜しみました。彼らは見知らぬ極東の小さな島国からきた僕を兄弟のように慕ってくれ、時に辛抱強くときに厳しくイギリスで勉強するために必要な英語やスキルを教えてくれました。彼らは本当に最高の友人たちです。

思い出を語りだせば止まらないのですが、本当に僕はここで二年間過ごせて幸せでした。
このブログを読んでる方の中には今後イギリスで勉強したい、ウェールズで勉強したい、しいてはyale collegeで勉強したいという方もいるかもしれませんが、異文化にとけ込む柔軟性と、自分の目標に対する熱意がある人ならきっとやって行けると思います。

二年間ご愛読ありがとうございました。
夏の結果発表日まで分かりませんが、イギリスの大学に進学したらダニエル日記Part IIをはじめたいと思います。ではその時まで!

2013年5月28日火曜日

A-levelが終わりました


 今日で約二年間のA-level(イギリスの高校)を修了しました。
時が経つのは本当に早く、ついこないだきたような感じがします。

日本の高校を辞めてイギリスのカレッジに進学するというのはある意味リスキーな決断でしたが、今ははっきりと後悔していないと胸を張って言えます。

当初は並の高校生よりは英語に自信があったものの、英語で学問を学ぶ、すなわち政治学、社会学、機械数学を自分の母語以外で学ぶというのは大変な労力を要しました。

それでも自らの頭で考え、物事を咀嚼し、批判的に捉えていくという作業は本当に魅力的で、僕が長い間求めてきた学問の形でした。

間違いなく留学する前と今とでは世界に対する洞察力、思考の柔軟性そして日本人としての自意識の確立において大きな進歩があると思います。

まだいくつか試験が残っているので、あまり長くは書けませんが、今、この時期に留学出来たことを本当に幸せに思います。

僕に関わってくれたすべての人たち、特にカレッジの親友たちと先生方には本当に感謝しています。

これで終わりみたいな感じの文章になってしまいましたが、もちろん大学もイギリスに進学予定ですので、(つまりあと三年はイギリスにいます)今後とも応援よろしくお願いします。

2013年5月20日月曜日

Important notification

Dear all the blogger readers,

I'm currently in the exam weeks and I'm pressed for time.
Please accept my sincere apology for not having told  my situation.
The series of exams; Politics, Sociology, Pure Maths and Maths Mechanics is expected to end by mid June.
It is highly unlikely to update my blogg until then.
Thank you for your kind patience.

2013年4月19日金曜日

LSE Visit Day 2013


LSEのVisit Day for offer holdersに行ってきました!
今回は平日で、授業を三コマ欠席しないといけないということもあり、少し躊躇していたのですが、それを遥かに上回る価値がありました!!
まず最初にPeacock Theatreという卒業証書授与式などが行われる講堂で歓迎の挨拶および、「なぜLSEを選ぶのか」というプレゼンがあり、そこで早速圧倒されました。

司会者が入ってくる前から会場は熱気で包まれており、前のスクリーンには過去の偉大な卒業生たちの写真がスライドで流されていました。

もちろん挨拶もすばらしくて、LSEが世界最大かつ唯一純粋に社会科学に特化した研究機関であること、僕たち受験者が世界中からの出願で生き残ったことを誇りに思っていいことなどを熱く語ってくださいました。

あとは校舎や図書館を見学したり、寮を見に行ったりしたのですが、そこでもたくさん新しい友達が出来て本当に嬉しかったです。

新しい友達と言えば、IR(国際関係論)だけのセッションでおそらく今年の新入生の8割が来ていて、みんなすごく活発で教授が「自由に自己紹介やトークしてください」といっても、全然恥ずかしがらずにあちらこちらで生徒同士の会話が始まるので、「これが世界のトップの学生たちの行動力なのか!」と心の中で感動しました。

しかしながら、しかしながらですよ!会話の火ぶたを切ったのは僕なのです!自分で言うのは変かもしれませんが、そのなかでも僕は彼らと対等に会話し、議論できたのです。21世紀におけるロシアの権力体制や、国家理性の話をしても僕はついていくどころか、話を盛り上げるくらいの気持ちで楽しむことが出来ました。

ある意味今回のVisit Dayはぼくに取って大きな弾みとなりました。最近いろいろ日本でも高校生が活動しているし、「自分は大したことがないんじゃないか...」と自信を失いかけていたのですが、今日、僕は世界のエリート高校生たちと対等にやり合える実力を身につけていたことを再発見しました。

僕はもう世界と戦えるレベルに到達した、という自信をくれると同時に、9月にすばらしき仲間たち(特にカザフスタンから来ているかわいい女の子)に再会することを強く決意させてくれる人生の中でもすばらしい一日でした!

2013年4月17日水曜日

留学生代表に選ばれました!

僕のカレッジ(Yale college of Wrexham )が現在進行形でブリティッシュ・カウンシルの"International School Award"に応募しているのですが、その一次選考のビデオ会議で留学生代表に選ばれました!!

昨年ウェールズ一の学校の称号である"Teaching and Learning Award"を獲得していたのですが、今年は全英クラスのアワードに挑戦するみたいです。

ビデオ会議では、僕が留学生としてウェールズの高等教育をどう感じているや、新たに学んだ知識やスキル、学校の留学生に対する支援体制などについて話しました。

結論として、自分でも驚くくらいうまく話せたのですが、何よりも僕を留学生代表として選んでくださったことに誇りを感じました!

2013年4月15日月曜日

ダブリン旅行記 Part 3

だいぶ時間が空いてしまいましたが、ダブリン旅行記の続きを書きたいと思います。
(Bloggerがバグって、HTMLコードを修復しなくてはなりませんでした。)

三日目は丸一日観光できる最後の日だったので、なるべくいろんなところへ行くようにしました。イギリスとは違って結構いろんなところで入場料が必要なので、いろいろ回る際はお札よりコインを多く持っていた方が便利です。

まず最初に朝の雨上がりのタルボットストリートを通って、昔ながらの繁華街であるテンプルバーを目指しました。テンプルバーはその地区の中心にある有名なパブ「テンプルバー」を中心に広がっており、こじんまりとした雰囲気の中におしゃれな若者の店やアートギャラリーなどがあります。

テンプルバー地区を通り過ぎると、いくつもの歴史的大事件の舞台となったダブリン城が見えてきます。今でこそ国賓をもてなすときなどに使われているものの、その昔は牢獄や、革命軍の立て篭りなどに使われていたそうです。

続いてはクライストチャーチ大聖堂。ここはダブリンにある数多くの聖堂でも特に大きいもので、我らがウェールズ出身の騎士ストロングボウがダブリンを征服した際に建立したそうです。なんとこの大聖堂、地下にも部屋があって、イングランド王が寄付した金食器などがおいてありました。

大聖堂は隣にある体験型博物館「ダブリナ」とつながっていて、そこでは考古学を中心とした体験型の展示を用いてバイキングの時代から、中世、近世を経て現在のダブリンが形成されるまでの過程を紹介していました。一つ付け加えると、どちらかというとここは子供向けだったような気がします。

その他にもワックスミュージアムやスパイアーなどいろんなところへ行ったのですが、僕の中では国立装飾品美術館が圧巻でした。ここは比較的新しい上、展示が非常に充実しており、東洋(中国、韓国、日本、ネパール、インド)の装飾品コレクションや、アイルランドの伝統工芸品、家具などが所狭しと展示されており、見応え十分でした。
位置は少し中心街からはなれていますが、展示内容は一見の価値があると思います。

この日はなんと最後の結果待ちをしていたSOAS(ロンドン大学東洋アフリカ学院)からオファーが来たのでお祝いにパブでステーキを食べました。たぶんイギリスに来てから初めての牛のステーキでした(笑)

そんな感じで最後の夜は更けていき、次の日は特に観光することもなくのんびりとブランチを取った後、フェリーで帰路につきました(了)

朝のタルボットストリート

街の中心を河が流れています

遠くからでも分かるテンプルバー

ダブリン城は今も使われています

大統領官邸?

クライストチャーチの外見

大聖堂は荘厳です

中世の聖書

ヘンリーなんとかが寄付した金食器

ダブリナの中世の様子の模型







国立装飾工芸品美術館



ショッピングモール

昼食は謎のアイルランド料理(おいしかったです)

国立軍事博物館



アイルランド軍が太平洋戦争で手に入れた日本の旗
数々の銀製品と食器

19世紀のダブリンの家具

浮世絵コレクションもありました
ここは無料で入れました

ワックスミュージアム。要は蝋人形館です


ぼけてしまったけどステーキ。最高でした(笑)

2013年3月31日日曜日

ダブリン旅行記 Part 2

さてダブリン二日目は、天気予報に反して朝からまばらに雪が舞っていました。
外に出てみると予想外に空気が冷たかったので、即座に博物館、美術館を中心に巡る決意をしました。

朝一番に向かったのはアイルランド随一の名門校で最古の大学であるトリニティカレッジ・ダブリンで、そこに所蔵されているケルト文化最高傑作といわれる「ケルズの書」とそれを所蔵するオールド・ライブラリーを見に行きました。

その後はとにかく国立美術館、博物館と名のつくものはほとんど一通り見て回りました。

個人的に気づいたのが、アイルランド自身は豊かな文化と遺産を多く持つのに、国家の財政状況がイギリスほど安定していないため、せっかくの絵画、装飾品などの文化財がイギリスのナショナルギャラリーや大英博物館ほどの保存状態、展示状態ではないということです。

印象深かったのが、その日最後に訪れたジョージアンハウス博物館(ジョージア朝のダブリンの家をそのまま展示している博物館)で、学芸員の方がおっしゃっていたのが「ダブリンの全盛期は独立してからではない。ダブリンが最も栄えたのはイギリス連合の一部だった時だ。」という言葉でした。

たぶんこれはアイルランド人にとっても難しい問題でしょう。実際博物館や、美術館では英語よりもアイルランド語が大きく表記されていることが多かったですが、実際の人口のほとんどは英語しかしゃべれないそうです。

話が少し重くなりましたが、博物館、美術館ともに展示はすばらしく、外は寒かったものの、ダブリンの街並みを楽しみながら一日のんびりと過ごせました。

朝から雪が降っていて空はどんよりしていました

ダブリンの中心はロンドンと同じように河が流れています

トリニティカレッジの正門は重厚でした

トリニティカレッジのシンボルであるベルタワー

ケルズの書の見本

観光客に分かりやすいよう大きなポスターがあります

オールドライブラリー

アイルランド銀行

考古学博物館にはケルトの神々に捧げられた生け贄のミイラもありました。
彼らの文化では、生け贄になることは名誉なことで時には退位した部族の王などが神に捧げられることもあったそうです

昼食はミュージアムカフェで自家製ビーフラザーニャとアイリッシュサラダを頂きました

ケルト文化は思っていたよりも絢爛豪華で、金や銀の装飾品も数多くありました。

自然史博物館の入り口

向こうに見えるのはロイヤルアイリッシュアカデミーです

街の中心にそびえ立つ街のシンボルSpire

独立戦争の舞台になったGPO(中央郵便局)

夕食は別のパブでギネスパイを頂きました



2013年3月30日土曜日

ダブリン旅行記 Part 1

去年のイースターにパリに行ったことを思い出すと、時が経つのは本当に早いと思いますが、今年のイースターは前々からいつかは行ってみたいと思っていたアイルランドの首都、ダブリンを3泊4日の日程で旅してきました。

僕の場合、目的地に行くまでの旅路も楽しみたいと思う方で、今回はウェールズの北端に位置するホーリーヘッドから出航するフェリーでダブリンに向かいました。

一日目は思ったより大変で、まずアイルランドの人の英語の訛がものすごくキツくて、入国審査官の言っていることも一度では聞き取れませんでした。(笑)

そのあとバスに乗り換え、あたりも暗くなってきていたので、急いでホテルを目指しましたが...バス停がガイドブックに載っている場所とは全然別のところにあって、初日から結構歩いてようやくたどり着きました。

ホテルに到着後はしばらく夜の街を散策してThe Celtという僕の興味を引く名前のパブがあったので、そこで夕食をとりました。

ギネスを片手にアイリッシュシチューを楽しみ、そうして僕の初めてのダブリンの夜は更けていったのでした...
ホーリーヘッドのフェリー乗り場

フェリーUlysses号の中

思った以上にお客さんがいました

有名なカスタムハウス

Ulysses号

車でフェリーに乗ることも出来ます

ホテルにチェックイン後はもちろんギネスを一杯

いろんな種類のビールがあります

ここのパブはすごくおしゃれで店内もアンティーク調でした

初日の夕食は伝統料理アイリッシュシチュー

パブの名前はThe Celtでした!

2013年3月29日金曜日

イギリス大学出願の結果まとめ


無事アイルランドから帰ってきました。
昨日報告した通りダブリン滞在中に、僕が出願していた大学の全ての結果がそろい、とりあえず一段落つきました。

イギリスでは大学の99%が国立大学で、5校まで出願できるのですが、MAXの出願枠を使って、うち国立大4校から合格内定を頂きました。

ケンブリッジだけ不合格だったので少し残念ですが、今考えると現代社会の政治、経済界に強い影響を持つのはむしろLSEですし、自分の勉強したいことに強みを持っているのもどちらかというと、後者なので満足しています。

一応どの大学、どの学部に出願したかという情報を画像でアップしておきます。

Conditional=条件付き合格
Unsuccessful=不合格
です。

2013年3月22日金曜日

Sociology Conference

火曜日ににLSEの客員研究員でA-levelの社会学のカリキュラム作りにも携わっているDr. Steve Taylorが僕のカレッジに講演しにきてくださいました 。

この講演はDr. Taylorが一方的に話すものではなく、対話型(イメージで言うとマイケル・サンデルの白熱教室みたいな感じです。)で、時折、生徒の意見や質問なども交えながら進行していきました。

もちろん主題は社会学と犯罪の原因及びに背景分析なので、それに沿って、社会学的な犯罪論、犯罪の新たな形(グリーンクライムやホワイトカラークライム)、そしてそれらを証拠づけるためのリサーチメソッドについて講義を中心に、午前と午後で丸一日使って熱い議論が交わされました。

僕が特に関心を持ったのはグリーンクライム(環境に対する犯罪)で、Dr. Steveによると、まだまだ発展途上な研究領域ということでした。これらの犯罪は、多くの場合大企業、強いては国家によっておかされる犯罪であり、有名な例で言うとインドのボパール事件、メキシコ湾のBPの石油漏洩問題、そして我らが日本の東電による福島原発事故などがあります。

ここで気をつけないといけないのは、これらが一応「犯罪」と分類されていても、法律で裁くことが出来るとは限らないということです。福島原発事故を例にとってみても、明らかに東電の過失があるのにも関わらず、経営陣は刑事的告訴されていません。(民事裁判は進んでいますが、それでも現実的に責任を追及するのは難しいでしょう。)

それにホワイトカラークライム(エリートや社会的地位の高い人がおかす犯罪)についても法律の境界線は非常に曖昧です。リーマンショックのとき一番被害を食らったのは誰か。それはアメリカでも、他の国でも比較的社会的に弱い立場にある人々でした。実際に責任のある金融エリートたちは、公的資金をたっぷりつぎ込んでもらい、何の刑事的責任を取ることもなく、再び高収入を手にしています。(彼らのやったことは詐欺と同等ですが。)

つまりここでのポイントは、法律そのものが有史以来、万人による万人のためのものではなく、一部のパワーエリートたちによって作られた、彼らに都合のいい紙切れにすぎないということなのです。

さらにDr. Taylorは話を発展させ、僕たち生徒が「犯罪」と聞いて何を思い浮かべるか、「犯罪者」と聞いて誰を思い浮かべるかを問いました。そこで僕たちは言われてみれば、僕たちがイメージする犯罪、犯罪者は圧倒的に社会的に弱い立場の人々が加害者にも、被害者にもなりやすいと気がつきました。(誰が泥棒しますか?誰が強盗しますか?)

実際には投資会社は、食物の価格を投機によって高騰させ、何百万もの命を間接的に奪い、ウォールストリートの住人は相変わらず、お金を持った老人たちをだまし続けているのにも関わらず、です。

こうした問題は本当に深刻で、意識していなければ気づくことすら出来ません。そして幸いなことに、僕はそうした社会の重大な問題点に対して、社会学的見地からアプローチする機会を頂きました。

やはりイギリスのすごいところは、このような複雑かつ深刻な問題に対しても、18歳やそこらの高校生たちに、疑問を問いかけ、自分の頭で考えさせることです。

そしてそれこそが、歴史上全ての「日の沈まない帝国」と呼ばれた国々が現在没落しているのにも関わらず、イギリスが国際的な存在感を維持できる大きな理由なのです。

日本はかつて「日の出ずる国」と呼ばれ、それが今の国名の由来にもなっています。僕は本当に心から、自分の母国が「日の沈む国」にならないことを祈っています。



2013年3月18日月曜日

6 Nations Rugby Championship!


昨晩はウェールズは大盛り上がりでした。ウェールズは特にラグビーが強いんですけど、伝統的な大会、6 Nations Rugby(連合王国+フランス、イタリア)でイングランドを下してウェールズが優勝したんです!

普段はあまり意識しないですけど、やはりおなじイギリスでも地域(彼らは別々の国だと思ってます)ごとのアイデンティティはすごく強いと感じました。

実際僕もウェールズのラグビーチーム(Red Dragons)のファンで、テレビを見ながら国歌を一緒に歌っていました(笑)

昨日の試合はしかもウェールズに取ってものすごく大切な試合でした。というのも、ウェールズは他の地域と違い、比較的に早い時期にイングランドに併合されてしまったので、あらゆる面でウェールズの国としての力は弱められてきました。

したがって、ウェールズ対イングランド戦は、ある意味武力で押さえつけられた自分たちの国としての誇りを取り戻す、一番大切な試合なんです。

今回の対戦はウェールズの圧勝でした。最終スコアは30-3 で、イングランドにほぼ攻撃のチャンスを与えず、前半後半ともに主導権を握っていました。

さらに今回の勝利は1978年以来およそ30年ぶりの2連覇という偉業で、さらにさらにイングランドのグランドスラムを阻止することに成功しました。

僕自身はラグビーはプレーしませんが、チームのモットーである"Dragon Heart"(竜の心)が欲しいです!

2013年3月11日月曜日

A2最初の試験結果が出ました!

A-level2年目最初の試験の結果が先週の木曜に発表されました。

今回の試験は1月に受けてたものだったので、モチベーションや自信がどん底の時でしたが、それを覆す、すばらしい結果でした。

受けた科目はPoliticsから3ユニット、SociologyとPure mathematicsからそれぞれ1ユニットずつだったのですが、さすがに2年目とあって勉強量は実感としては大体1.5倍でした。

そして肝心の結果はPoliticsがAAB、SociologyがA、Pure MathematicsがAでしたので、今までのなかで最高の出来となりました。

本当に1月の試験は、僕の今後の進退に大きな影響を及ぼす重要な意味があったので、今回きっちり点を取れたのは大きな前進だと思います。

LSEからのオファーはAAAなので、ただひたすらその条件を達成するべく、今後もこのモチベーションを維持して勉強に励み研鑽していこうとおもいます。

2013年3月2日土曜日

St David's Day

今日はウェールズの国の記念日 "St. David's Day"でした。
St Davidはウェールズの守護聖人で、18世紀に"national day of cerebration"として制定されて以来、ウェールズ人にとって自分たちのアイデンティティーを守るための最も大切な記念日として扱われてきました。

この式典は、ウェールズ議会とウェールズ国民投票によって一度は、国の祝日に制定されたものの、イングランドの中央政府によって否決され、認められませんでした。

しかしながらウェールズの人々は、たとえ平日であろうと、この記念日を大切にし、ウェールズの公共機関(学校、病院、市役所など)では時間を割いてみんなで盛大にお祝いします。

今回は平日だったので、僕の通っているYale collegeでも式典があり、留学生はウェールズの歴史について聞いたり、国旗をもらったりしました。

St David's Dayにはまずウェールズの国歌をウェールズ語で歌い、伝統的なネギとラムのスープを飲んでお祝いします。

大人たちは深夜までパブでどんちゃん騒ぎし、子供たちは民族衣装に着替えてダンスをしたり、合唱したりします。

いくら連合王国と言ってもやはりウェールズ人には自分たちの誇りと民族意識があり、外国人が勝手に「イギリス」でひとくくりにするのは良くないことだとあらためて痛感させられました

ウェールズの誇りと言えば"Y Ddraig Goch"(ア・ドライグ・ゴッホ)が有名です。これはウェールズの国旗に描かれている赤い竜のことで、ウェールズ人に取って特別な意味を持ちます。

通常キリスト教では竜=ドラゴンは邪悪な存在として扱われていますが、この赤竜は優いつの例外なのです。その理由はウェールズのケルト文化とアーサー王の伝説に由来します。

ケルト神話では赤竜が災厄を招く黒竜を打ち破って、地に平和をもたらした伝説があり、またあの有名なマーリンの予言において赤竜はアーサー・ペンゴラゴンのことでした。


そうした理由があり、チューダー家の王は赤竜を例外的に王のシンボルとして使うことを認め、キリスト教世界で唯一神聖視されるドラゴンとなったのです。

しかし残念ながら、この赤いドラゴンもユニオン・ジャックには描かれておらず、ウェールズ人にとっては自らのアイデンティティーを強く喚起させるものなのです。


去年はこの式典に参加できなかったので、本当に参加できてよかったし、ウェールズへの愛着がますますわいたSt. David's dayでした。

ウェールズ国歌-Land of my fathers

2013年2月9日土曜日

LSEからオファーをいただきました!

まさかの結果です!
ケンブリッジに落ちてからほとんど期待していなかったのに、社会科学分野の名門校、LSE(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス)からコンディショナル・オファーをいただきました。

では軽くLSEの紹介をしましょう。LSEは1895年にロンドンの中心部に創設され、以後16人のノーベル賞受賞者、32人の国家元首を輩出し、Newsweekは「これほど欧州で政治的エリートを輩出した大学はない」と評しており、世界トップクラスの大学の一つに数えられます。

何がすごいかと言うと、今現在世界中で研究されている、国際関係学、社会学、社会政策学などの分野を開拓して、名実共に社会科学の分野で世界を牽引する大学であるということです。

そしてなんと、2011年度のデータによると、僕が受験したInternational Relations(国際関係学)は46人の定員に対して1,310人が受験し、実に倍率28.5というすさまじい競争ぶりなのです。

その中で、特に成績がずば抜けている訳でもない僕が、こうしてオファーをいただいたのは本当に奇跡に近いと思います。

本当に、全ての応援してくださっている方々に改めて感謝したいと思います。

しかしながら、これは確定ではなく、6月の最終試験の結果にかかっているので、後もう半年、力を振り絞ってがんばります!

2013年2月4日月曜日

マグリットと僕

先週の土曜日に、久しぶりにリバプールを訪れました。

目的は僕のお気に入りの美術館、Tate Liverpool(リバプール現代美術館)の季節ごとに変わる常設展。今回は2013年になってからはじめていったので、大幅に展示内容が入れ替わっていて、アンディ・ウォーホルやアレクサンダー・カーネルなど、個性豊かな作品たちを楽しむことが出来ました。

たいてい僕がTateに行く時は、まず美術館内にあるカフェで遅いランチをとることで始まります。この前はチェダーチーズとトマトのサンドウィッチをいただきました。

そしてカフェでのんびりした後は、窓から見えるアルバートドックの港景を楽しみながら、たっぷり時間をかけて展示を見るのです。

さて本題に入ると、僕がこうして美術館、特に現代美術館を好きになったのには、ある一人の画家の作品が大きく影響しています。

彼の名はルネ・マグリット。ベルギー出身の前衛画家で、現実と非現実の狭間を生涯にわたってとらえ続けました。



僕が彼を知ったのは、まだ幼稚園の頃でした。その当時母が僕たち兄弟のために「おおきなポケット」という子供向け月刊誌をとってくれていたのですが、そのなかでマグリットの不思議な世界観を現実世界で再現してみようという特集があり、僕は大きな衝撃を受けました。

しばらく、それを忘れていたのですが、自分で美術に興味を持って、いろいろ調べるようになったとき、この不思議で、どこか少し懐かしい感じのする絵を描く人物がマグリットということを知ったのです。

これはあくまでも僕の主観ですが、マグリットの絵は僕が同じく小学生の頃好きだった、安房直子さんの童話に出てくる世界に共通するものを感じるのです。

両者に共通するのは、現実と非現実の共在、どこか懐かしさのある情景、そして見るもの、読むものをその世界にいざなう包容力なのです。

マグリットと僕。それは共鳴する感受性なのかも知れません。