2011年10月10日月曜日

イギリスで考えた日本の教育の課題

さて今日は僕が感じたイギリスと日本の教育の決定的な違いと、海外名門を目指すための方法を書きたいと思います。
まず、僕がカレッジの教育を受けて最初に思ったのは「どこでこんなに差がついてしまったんだろう。」ということでした。授業は先生と生徒の議論が中心で知識を鵜呑みにするよりその知識から自分が感じたこと、考えたことを表現することが求められます。そのプロセスにおいて、どの生徒も物怖じすることなく自分の意見を表明するので大変驚きました。
僕は日本にいたときから、「わかりません。」という返事が嫌いでした。イギリスの学生なら「〜という説明がわからないので自分の意見を表明することができない。もう一度説明してください。」といいます。
日本の教育では、一貫して説明に対して単語、用語、法則を答えることが求められますが、イギリスではその逆で、自分でそれらを定義、解釈、説明することが求められます。この手法は決して簡単ではありません。先生方は採点の際も丁寧に生徒の書いた文章を読んでいかなくては行けません。それでも彼らがそれを続けるのは、それが人材を育成する方法だと信じているからだと思います。
高等教育以上のレベルで日本が国際競争力に欠けるのは、アウトプット能力が欠乏しているからではないでしょうか。
日本でいう優秀な生徒とはとにかくインプット能力に長けているだけで、形式に答えることしかできていないと思います。
与えられたものこなすのは結局既成のもので、世界を変えたリーダーたちがなぜ米英の名門を卒業しているかというと、その既成概念を飛び越える、つまり新たに創造する能力を持っているからだと思います。
よく日本では「欧米の名門は入るのが簡単だが、卒業するのが難しい。」といいますが、それは違うと思います。
なぜなら答えを自分で探し創らなくてはならないからです。
たとえ現役東大生が全部問題を日本語にして試験を解いたとしても合格できないと思います。それが現状です。
日本の未来はまさに高等教育にかかっています。
これからもこの問題についてはしっかり考えていきたいと思います。

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